受験と高校生活

12月。

世間はクリスマスだなんやらで忙しいが、受験生にとってみればセンター1ヶ月前なのだから、そんなこと知ったこっちゃない。

バイト先で高校生を受け持つ講師の一人として、医学部受験の二浪の友人がいる身として、彼らが全力を出し切れたらよいなと思う。

 

この記事で、自分の受験生活を振り返りたい。

 

結論から述べると、僕は志望校に合格できなかった。

早稲田には現役時代に「文構、人科、教育、商、社学」を受けて全滅。

浪人時代に「文構、教育、政経、商、社学」を受けて全滅。

合計35万円である。

 

浪人時代には、慶應も受けた。

日吉は好きではなかったが、三田ブランドには魅了される。

「文、法、経済」を受けた。全滅。

10万5千円。

 

所謂MARCHも受けた。

明治は2年連続で受けた。

法政、立教も受けた。

合格の文字は最後まで見つからなかった。

 

東京理科大学経営学部も受けた。

理系の大学にも関わらず文系科目だけで受けれるので、これを読んでいる諸君は一考してみてはいかがだろうか。記述対策が必要だが、落ち着いて考えれば解けない問題では無いと思う。

僕は落ちたが。

 

結局通っているのは、渋谷の丘の上の大学。

最寄りが渋谷とはいえ、駅から歩いて15分。そして坂を登らなければならない。

早稲田の馬場歩きよりはマシだと思うが、うちの大学も通うことだけで鍛えられる。

 

この大学の入試の英語の問題で、猫についての話が出たことを覚えている。

底辺の大学らしいと思いながら解いた。

まさか自分が通うことになるとは思わなかった。

 

受験には途方も無い金額がかかった。

死んでも親に逆らうことなどできないし、自分の精一杯の挑戦を応援してくれたことに感謝の気持ちしかない。

 

本題に戻ろう。

2年間の受験生活の話だ。

 

いや、前提知識がいるはずだ。

高校生活について書くことにする。

 

僕が通っていたのは、とある公立高校。

偏差値は府内でも公立高校トップ5くらいに入るはず。

そして、立地が良い。府庁の隣だし。

東京でいうと、日比谷高校みたいな感じだと思う。

 

自分の高校生活は、勉強とは無縁そのものだった。

中学生の頃から野球観戦が趣味だった僕は、高校でその趣味が爆発する。

なぜなら、高校から京セラドーム大阪まで30分以内でいけるからだ。

 

僕は、毎試合のように京セラの外野スタンドに通った。

高校1、2年の間で100試合は行った。

ユニフォームとタオルを学校に持って行って。

メガホンはいらない。体と喉があれば応援できる。

 

当初は、福岡ソフトバンクホークスのファンだった。

関西鷹狂会といういい応援団がいて、 楽しませてくれる。

毎日のように、喉を枯らした。

中日ドラゴンズも好きだったから、甲子園にも行った。

オリックスバファローズの友人にも出会い、渋い応援歌にどハマりした。

結局、今ではオリファンを名乗っている。

大阪紅丑會と神戸蒼誠会のトランペット、太鼓は一級品だ。

ぜひyoutubeで見てほしい。

https://youtu.be/MuK7jPaBunc

 

もちろん勉強など手に着くはずもない。

特に数学、世界史は落第スレスレ。

学年は360人だったと記憶しているが、300番台の常連だった。

まぐれで、356位も記録した。

だからなんやねんと言われればそれまで。

 

高校3年の夏になって、スタディサプリ https://studysapuri.jp を始めた。

これは心からおすすめしたい。

英語の関先生、日本史の伊藤先生の授業を始めとして、どれもわかりやすく納得できる授業ばかりだ。

時間の制限もないし、月額1000円というのは驚異的である。

英語の文法など、基礎から勉強し直した。

それなりに効果はあったはずだ。

成績も200位台にまで上がった記憶がある。

 

自分は大学は東京の大学に行くことを決めていた。

両親はどちらも東京の大学だったし、プロ野球だけでなく六大学野球もある。

現役時代は早稲田と明治を受けた。

 

受験期間中は東京にいたのだが、夜はほんとうにしんどかった。

夜中突然眼が覚める。

冷や汗で下着が絞れるほど。

 

明治の対策などする暇もなかったし、落ちるのは仕方ないと思ったが、罠があった。

合格者の数が減らされていたのだ。

https://diamond.jp/articles/-/143692

 

定員に対する合格者数の厳格化を行い、守らなければ補助金カットとかいうわけのわからない政策。

僕はドンピシャで当てはまってしまった。

これで一番被害を被るのは、合格ラインギリギリに滑り込む現役生である。

そして、彼らは浪人をするのだ。

 

大学に入って言われたのだが、最近の首都圏の大学生はほとんどが首都圏出身なのだそうだ。

昔は地方から多くの大学生が上京してきたらしい。

その大学生は結婚して子供を産んでも首都圏に残ったのだろうか。

地方出身者が珍しい存在となっているという。

 

だから、大学の合格者数厳格化をしても、彼らは地方の大学に行くなど微塵も考えない。

河合塾駿台に通うのだ。

この政策はなんだったのか。

https://www.asahi.com/articles/ASL5H77NVL5HUTIL067.html

 

浪人生活は、それなりのものだった。

河合塾には、良い先生も悪い先生もいた。

ロジックをしっかり教えてくれる先生、背景知識を詳しく解説してくれる先生、理不尽に怒って授業中イライラしている先生、淡々とした眠い授業をする先生。

良い生徒も、悪い生徒もいた。

イケメン、金髪、メガネ、コンタクト。

 

浪人は成績が伸びにくいと言われている。

僕もその流れに当てはまった。

6月くらいまでは比較的伸びていたものの、夏休み頃から伸びなくなった。

むしろ下がっていた。

 

一番ひどかったのは、結局国語だった。

現代文の成績が伸びない。それでもお前は文系かと言いたくなる。

英語も上がり下がりが激しかった。

 

英語が悪かった理由は、結局のところ語彙力だったと思う。

この文章も単語が読めるから意味がわかるわけであって、単語の意味がわからなければ読めるはずもない。

僕は楽して受かりたかったし、単純作業が嫌いだったから単語をサボった。それだけだ。

こればっかりは少しばかり後悔している。

 

現代文が悪かった理由はわからない。

本を読むのは好きなのだが、点は乱高下。

今でも理由はわからない。

 

夏ぐらいから、現代文に見切りをつけて慶應の小論文対策をした。

これは当たった。

慶應オープンで、小論文に限っては経済でB判定が出た。

英語は失敗したが、日本史はそこまで悪くなかった。

そこから、三田に通う夢を見ることにした。

三田にも行った。

気分はKOボーイ。

 

冬になって、河合塾のチューターと志望校の決定を行う。

適正レベルは、明治~早稲田教育あたりだった。

まあどうにかなると思ってた。

 

結果は先述の通り。

一番辛かったのは、理科大に落ちた時。

母親と一緒に泣いた。

 

なにくそ根性も早慶の前では役に立たず。

滑り止めの滑り止めに通うことになり、今に至る。

 

別に、たまたまこの記事を読んでしまった1人の受験生に、滑り止めの滑り止めを考えておけなどと言うつもりは毛頭ない。お金、日程、精神状態、人それぞれなのだから、正解などないはずだ。

ただ我武者羅に頑張って、僕が見れなかった景色を見て欲しい。

 

以上。